20160403 スポンサーサイト


一定期間更新がないため広告を表示しています


  • Sunday
  • -

20131015 Weather Report


People In The Box
日本クラウン
¥ 2,200
(2013-10-16)

『Ave Materia』はとても良かった。
とても良かった。
でも最初は怖かった。
6曲目『割礼』
7曲目『みんな春を売った』
最後の曲『八月』
それらがどこか不気味で、不気味というのは理解不能が原因で、だから怖かった。
(『八月』の繰り返し。単調さの恐怖)
でもそれが、繰り返し聴いているうちに、不気味さが心地よさに形を変えた。
『八月』はまるで、ささやかな日常がただ静かに続いていくような、吉兆として聴こえるようになった。
感受性の変化の体験。
そうそうない体験をしたと思っている。
それがだいたい1年前。

『Weather Report』
まず、黒いジャケットに驚いた。
強い黒色の次は、光に目がいった。
閉ざしていた瞼を開け、光を目にしたような、鮮烈な洗礼。
このアルバムの基調色は黒だろうと推測していたが、裏表紙(?)を見て、してやられた感。
歌詞カードを見て、更に、予想を超えられたことに嘆息する。
歌詞カードだけで泣きそうになりながら、アンドレアス・グルスキーの作品を思い出していた。

『Family Record』の真っ白な抽象(ダイゴマンのUst配信でモチーフの正体を聞いた)、
『Ave Materia』の食べ物的な温かいオレンジ(ダイゴマンのスムージーっぽい)ときて、
接写から屋外に移行するジャケット。
激しすぎるコントラスト。

曲。

一曲一曲の解説めいたものはここでは絶対に避けたいけど、
『真夜中』(丁度アルバムの折り返し時間だ)で、責められる「彼女」に対し繰り返される「いいよ」で、
なんというか、みんな救われたような感じがした(救われるという語は宮沢賢治に由来する)

自分は『真夜中』が好き。

『鉱山』で一旦全部終わったかのようであり、
でも『開拓地』で、冒頭の気球がちゃんと着地したようだった。
ちゃんと「食事」にありつけてよかったと思う。

よかったと思う。

『Ave Materia』のもっていた 怖さ が無かったのだ。
どの曲も怖くなかった。

『Family Record』と『Ave Materia』を比べると、
『Family Record』は、声や音は丸く、歌詞が殺気だっていて、
『Ave Materia』は音や声が鋭く、でも歌詞は丸くなっていた。

『Weather Report』は親身になった感じがした。
(『夏至』の一人きりの声。ごまかしのきかない声。)

一方、どうやら大荒れらしい『大陸』の様子。

偶然にもこの日巨大な台風が直撃して、よかったと思う。
よくはない。
備えをして、外に出るのを控えて、おとなしく雨の音を聞いてなければならない。
それでも外に出なければならない人がいるのはおかしいことだと常々思う。

とんでもない荒野ととんでもない大都会に放り出されて旅をしてきた感じがする。
壮大な世界一周の旅だったように思える。
とんでもなく長くて壮大なシナリオの夢を見て目覚めたときに似ている。
でも実は全部が家の中で起きた出来事だったのかも知れないとも思う。


20131007 タトコン11/タトホン7


夏休みの日記も書ききっていませんが、まずこちらから。
筆無精なもので、前々回、前々前回の文フリや前々回コミティアの日記も書いていません。
余談ですが、日記は毎日書いています。ブログなどで、他人に読まれることを前提とした散文を書いていないという意味です。



本日で最後の回となった、同人誌・ガレージキット等即売会、「つくりたいさんの文化祭」タトコン11/タトホン7にスパイ……お邪魔してきました。
いつか出展したいと思っている間に終了の言葉が発表され、急遽一般参加者として来訪しました。

会場の勝手が分からずうろうろしていた(文字通り、他校の文化祭に一人で来たような)私にも親切にしてくださった皆様、
とりわけ「こちらがスイマーズの山川です」とたくさんの方に紹介してくださった高村暦さんに厚くお礼申し上げます。
肩書きがあるって便利だなあと思いました。ありがとうスイマーズ。

購入物は4点、小説が一冊、書籍が一冊、雑貨・アクセサリーが各一点です。


ちゃっかりとmacbookの上で撮影するドヤリング根性が我ながら気持ち悪い

右:西瓜鯨油社『ORKA』
左:燃えあがる静物『モトシンカカランヌー』

特に『モトシンカカランヌー』に惚れてしまいまして……
“既成の文庫本に画を書き込む直筆本シリーズ”(タトコン/タトホンのカタログから引用)



どうしよう、芸術じゃん!!!!!!!!
と、電流の走る思いで、急いで購入を決意したものです。
こういう作品購入の感情は初めての経験でした。
コレクターってこういう感情なのだろうか……と、いろいろ考えます。

ほか、「西の森荘園」にて、すてきな鳥スタンプを購入し、
「八王子にイヌワシが現れたことがあるそうですよ!!!!」
「本当ですか!!!!!!!!」

と、バードトークに超盛り上がり(ありがとうございました!)、
「ぷいぷい工房」でレジンのアクセサリーを購入しました。

無配では、シアワセモノマニア『幸福遊戯狂』を……ってこれ無配でいいんでしょうか?
普通にオンデマ48ページ帯付きなんですが? 青波さん?

私はと言えば、どさくさに紛れて、高村さんが受け持つ委託本コーナーとコピー紙ラヂヲ(リアルタイムで刷られる参加者の動向)のお手伝いに参加していました。
我ながらどさくさに紛れすぎたと思います。
いや、遊んで帰るには勿体なかったので……
高村さん本当にありがとうございました。



タトコン/タトホンのテーマは「つくりたいさんの文化祭」です。
カタログ15ページをあわせて読むと、やはりまず「作る」ことが目標なのでしょう。
何でも作ってよくて、それを人に見せる場がある。
当たり前のように思っていたそれ自体が(月並みな表現ですが)「貴重」なのだと肝に銘じました。
表現の機会に恵まれない表現者がどれほどいるのか?
美術大学で美術の専門教養を学ぶ者として感じたものは大きかったです。

同人誌即売会をアウトサイダーアートとして捉えることが出来るかも知れない。
最近そういったことをよく考えます。
しかしアウトサイダーアートという語は、芸術の本流(そういうものがあるんです。詳しくは「美術の文脈」でおググり下さい)から外れた作品、
芸術の専門教育を積んでいない作家の作品 という意味なので、
「芸術の中心は芸術教育を積んだ者にある」ことを前提とした全くもって失礼な物言いでもあります。
そもそもプロ・アマの作品の熱意に境界はあるのか?

作品の意図、新しい価値、この作品によって世界がどう変わって見えるのか?
近頃自分はそういうことばかり考えてきました。
ものの見え方を転換することが文学と美術の義務である(=それが、優れた作品である)とずっと考えてきました。
考えは変わりませんし、それが自分の目指す点でもあります。
しかしそのために、小説でも絵画でも立体でも「この作品に意味はあるのだろうか?」と考えると何もかも駄作に思え、
自分の作ったものの価値がいっさい無かったのではないかという疑問を堂々巡りをする羽目になります。

でも、意図や価値以前に、まずは「作りたい」という強い動機が肝心なのではないか?
作品がすばらしいものかどうか・意味があるのか・これによって誰かや何かが激変するのだろうか? と逡巡する以前に、
自分にとってそれが面白いか・それをやりたいのか、自分の創作意欲を優先すべきなのかも知れないと、
タトコン/タトホンの現場を見て深く考えました。

例えば自分が書店で小説を選ぶとき、その作品が文学史上で示した価値や意義を考えて本を選んではいない筈だ。
基本的に、本を選ぶ動機は、面白そうかどうか だけではないか?

もっと自分の創作意欲を信じて、肩の力を抜いていいのではないか。
そういうことを考えさせられた、とても良い「場」でした。
初参加にして最後のタトコン/タトホンでしたが、とても楽しかったです。
ありがとうございました。おつかれさまでした。


さてツイッターで悲鳴を上げている文フリですが、
高村暦さんによる文学フリマ非公式ガイドブック 第2宣言を紹介してこの記事を〆めたいと思います。


20130822 山川夜高の優雅な夏休み 1


大学生の夏休みなどどうせ9月10月ものんべんだらりと暮らしているのだろう?
否、我が校の夏休みは相当短い。
ある年には「日本一夏休みの短い大学」の座に輝いたらしいのである。二位は武蔵美。どっこいどっこい。

バイトもせず(後述)それなりに遊び呆けているのは事実である。
でもちゃんと制作もしている。

9月4日までの我が夏休みを今一度振り返り見ることにする。



7/31-8/1
親戚と飼い犬と一泊二日で山中湖〜河口湖宿泊
味覚的にオーガニック食品をヘイトしている山川夜高(=やさいがきらい)がオーガニックな湖畔のレストランに連れていかれて地獄を見る。
東京に帰ったら麻布の御洒落ストランの前でオーガニック食品反対のシュプレヒコールを声高にあげてやろうと固く誓う。\オーガニック反対レトルト万歳/
公道を走れる変な乗り物に乗ったり、白鳥さんボートを漕いでいたら本人が現れたり、妙な体験をしつつ肉を貪った。柴犬肉である。
一泊し、二日目は水上バスに乗車。こんな王道な旅行プラン、自分なら絶対に立てない。
昼食頃、好きなバンドの新譜発売のニュースを受け取り、旅行どころではなくなる。
帰りの談合坂PAで真夏だというのにポタージュ様にまみえる。
夜高の失言「デブに悪い奴はいねえんだよ!」


8/3
3日間の短期バイトに申し込むも、面接官が私にだけ印象悪い。落ちた。これにより、文学フリマ終了までジリ貧が確定する。


8/5
夏だ!!! 海だ!!!! 海行こう!!!!!!!
という友人(畑野/仮名)の熱い希望により、胴網海水浴場へ。
メンバーは畑野(主催) 山川(協賛) ぱたゆらちゃん 同じ学科のKさん。
JDにあるまじき熾烈なガチ海水浴であった。畑野はこの日のためにフィンを買う程の熱意であった。
当日の天候も、海のコンディションも最高だった。潜った畑野やKさんによると、ソラスズメダイやイシダイの稚魚や大量のガンガゼやウミエラ的なものが明瞭にみられたらしい。
このために買った図鑑が全然同定に役立たなかったため山川は若干気落ちした。
生きたヒトデがいた。思いのほかやわらかだった。
北向きの浜で、日差しを顔に浴びないのでとても居心地良かったが、日焼け止めを塗り忘れていた膝の裏は赤々と焼け炎症。痛みは三日ほど引かず、現在に至るまで皮がむけ続けている。こんなに剥けるのは小学生以来ですよ。
胴網海水浴場は閉鎖した海水浴場であり、シャワー等の施設はなく、市は他の海水浴場への移動を呼び掛けています。遊びに行く際は自己責任でお願いします。

スナヒトデ
スナヒトデ

妙な看板
どうかと思う看板イラスト

ツバメ
駅舎にツバメの巣があった


8/7
マイスウィートディスティニーセーラーガールこと紗裸こと紗良さんと、《はじまりの地》池袋に映画『風立ちぬ』を見に行く。
(はじまりの地: はじめてのオフ会の場所が池袋だったため)
昨年彼女と見た映画は何がしたかったのかさっぱり分からない見なくて正解映画の『ラビット・ホラー』(でっかいうさぎが唖の女の子を追い回すというあっちこっちを足してパクったような内容)であり、私が最後の劇場で見た映画がソレだったため、やっとまともな映画を観賞できたことにとにかく安堵する。
賛否わかれる作品と聞いていたが、私は イイネ! を押す方に立つ。
夢と現実が双方同レベルに尊重されている(夢が、現実のための小道具に留まらない)点が、たいへんいいと思ったし、アニメーションの技法の強みだと確信した。
紗良さんの時間つぶしのため、その後カラオケに行く。
東京事変「透明人間」や椎名林檎「真夜中は純潔」など、ネタに突っ走る選曲。
今度じっくりネタカラオケしたいですね。
別れたのち、高円寺Galleryたまごの工房に、文芸部の隠岐さんが出展している二人展「朝日ぐれ展」を訪れる(会期は終了しました)。


8/9
地元の友人と新江ノ島水族館に遊びに行く。
彼女とはなぜだかサンシャイン水族館も葛西臨海水族園も行った仲。次はすみだでしょうかね。
クラゲ水槽リニューアル後に訪れるのは初めてだった。「そこに置いたんだ……」って場所に立っていた。人選(クラゲ選)の深さに感動さえ覚える。立法クラゲが常設展だぞー!
彼女の目当てはイルカショー。自分ひとりなら絶対に見ない(そもそも、ひとりで水族館に行くことからズレは生じている(だって年間パス買っちゃったし))
そして危うく感涙しかける。イルカってこれほどまで美しい生き物だったっけ? と……
胴をひねりながら大きくジャンプする姿に感動を覚えた。あの美しい流線形が、かつて地上にいた哺乳類とは。
水族館をまわった後は島の方へ行った。
行楽シーズンまっさかりの為か、境川河口から江ノ島の岩場をつなぐ遊覧船(ちいさい漁船程度の大きさ)が満員だった。境川から、行きの便に乗ってみる。江ノ島東部の岩盤には洞がいくつか空いていて、なかに漁師小屋らしい謎の木造小屋が立っていた。
弁財天の参道を順に回っていく行きルートよりも、岩場からの帰りルートの方が楽な気がしている。いやどっちもきつい。
ともあれ、江ノ島など真夏に行くものではない。
アップダウン激しすぎ。あっつい。人多いし。水着マンばっかりだし。
島の裏手側に「くらげアイス」「コーンポタージュ」味ソフトクリームを販売している店があったのでチェックされたし。江ノ島大師〜江ノ島神社奥津宮の間にあった気がする。
なお水族館でラムネ味ソフトクリームを食べていたので、この日は食さなかった。一日に2個も食いませんよ。


新顔のコティロリーザ・ツベルクラータさん


8/11
紗良さんとUさん(学友)が、C駅近辺に来る。いわゆる聖地巡礼。
ツイッターより、紗良さん発言
「セクハラ発言の矛先が松永天馬に移ったとおもった?残念!!!!!帆来推し健在でした!!!!!!!!!!汗が伝う君の青白いうなじを斜め後ろから見つめ続ける仕事に就職したい!!!!!!!!!!ほらいきゅんきゅん♡♡♡♡♡」
「てまきゅんの汗は化粧水だけどほらいきゅんの汗は鑑賞用だから。」

などと呟き、山川を震撼させる。
とりあえず頻出箇所である「クレープ屋」に連れて行き、それから『ブラックボックス』のX現場を回る。聖地巡礼?
紗良曰く
「ほらいきゅんの吐いた二酸化炭素を吸ってきたしゲロ現場もいってきたからいまごろ私の血液中に彼のDNAが微量ながら取り込まれているのではないかと淡い期待を抱いている」

T市三大邪教が「サン●オピュー□ラソド(パステルカラーの城壁が延々と続いている。捕らえられた子供たちは中でピュー□されている)」「べネッ背(虎が幼児教育を迫る。ピュー□ラソドの向かいにビルが一本立っており、最上階は展望台になっている)」「全裸教団(うちら)」に決定される。もう少し北の西S駅まで行けばコンクリートロード教もある。魑魅魍魎の地T市。狸の怨念が今も根付いているのだ。ああジブリ。
Uの案内で大学のそばの大規模な夏祭りを見て回る。
私も行くのは初めてだった。思いのほか大規模に「祭」であった。
ただし祭会場では落ちつけないので、喫茶店に移動してトークタイム。
ありがとうございました。


「ほらいきゅんゲロ現場なう♡♡♡♡♡」


8/15-19
母の帰省で新潟のド田舎に滞在。今年は親戚の家がわざわざ私のために軽自動車を一台置いてくださった。
初日はmaxときの1階席で「ホームしか見えねえ!」と車窓を嘆き、二日目は日本海を見に行き、三日目は白鳥で有名な湖にご当地キャラ「ごずっちょ」グッズを買い漁りに行き、四日目は家で休んだ。五日目の新幹線は自由席で、久々にmaxの二階に乗車出来た。
否が応でも田園地帯のため、用水路が集落中を流れており、余談だが父は用水路に落ちて救急車を呼び、数針縫って入院したことがある。地元民は誰も落ちたことがない。
用水路をまたいでゴミ捨てカゴが立っているのがなかなかフェチズムを誘うのだが、(写真では用水路を塞いだ上にカゴを立てているが、カゴから四足が伸びて水路を跨いでいる物件もある)この手のコレのファンはいないだろうか。
あとキリスト看板は鉄板である。いつ誰が設置しているのだろう。


日本海の荒波に圧倒されるねずみちゃん


墓参りに行ったら先客がいた


新ジャンル: 用水路上のゴミ捨て場


いったいいくつ種類があるのだろうか



夏休み後半は8/22-9/4を掲載します。分量違いますね。

8/22 ライブ(People In The Box ソロ公演「空から降ってくる」)
8/27-29 ゼミ旅行
8/30 ライブ(ハイスイノナサ ソロ公演)
8/31 またえのすい行くかも


原稿?





やってなくはないです。










さて今夜はライブだ!


20130701 雑感: 知識教示欲


 人は貪欲な知識欲(認識偏愛・エポステモフィリア)を持っているが、それよりも知り得たことを周囲に知らせたい欲求の方が根深いのではないだろうか。見聞きした話を他人に教えることは、自分の経験談を語るのと同様の満足感を話者に与える。自分の関与していない遠い場所の出来事だろうと、それを語る口は自分のものだから、同じ満足を得られるのだろう。だからツイッターのRTやFacebookのシェアが成り立つ。Tumblrなどリブログだけで成り立っているようなものである。共有行為のないSNSは流行らないだろう。(mixiのイイネ! はFacebookのパクリなのだろうか?)

 共有は人の進化の過程で不可欠だったに違いない。効率の良い火のおこし方や、頑丈な武器の作り方や、移動する獲物の行方などの生存に有益な情報を伝えあうことは、集団生活による生存を選んだ人類には当然の営みだった。食事や睡眠や性交に快楽の対価があるように、知識欲にも満足という対価が与えられる。

 現在に至るまで、その快楽は受け継がれている。火のおこし方や武器の作り方といった、知らなきゃ死ぬような話題はもうこの日本にはない。快楽だけがあとに残っている。生死に直結する話題がない今、情報の過激さばかりが人を満たし、知っては誰かに広めてまた快楽を満たす。その事物を知ることと実際の体験があたかも同一であるかのように。

 伝えたくなることも原始的な欲求なのだとここで自覚したい。私は、昨年の8月に発言が1000RTされたことを未だに根に持っている。


20130623 小説の宣伝について+近況


銀座モダンアート「zine展」に、She Sells~ を出展しました。
作った本人も奇妙な物体だと思っていたものを数名の方にお買い上げ頂き、なにか自身の作品への僅かな希望を持ちました。
もちろんこんなところで満足するのは早過ぎますが、少なくとも確かな手ごたえは感じています。
今後も通販やその他のイベントや、可能ならリトルプレスを取り扱う書店やカフェに置かせてもらいたいです。
11月の文学フリマにはShe Sells~も星降る昼も持っていこうと思っています。新作もあります。

会期中の6月14日、同じくzine展にご出展していた風野湊さんとお茶をし、半日ゆっくりみっちりお話しました。
二次創作についての話(←ネットサブカルチャーを知っている人とはもはやお約束の談義)や互いの小説の技法や着想について、作品発表の方法について色々深く話しあいました。

例えばCOMITIAは顕著だと思いますが、「一次創作」の界隈はほとんどが読む人=書く人です。(二次創作ではないという注釈としての「一次創作」。この呼び名はあんまり好きじゃないです)
すると書く人の間ではどうしても書く人同士のコミュニティが出来てしまい、内輪に向かってしまったり、なれあいや自己満足に留まってしまう。
内輪であることに良し悪しはありません。個人の楽しみ方であり、私はそれを避けたいというだけです。
商業作家なのかアマチュアなのかという二択はさておき、どこかに媚びることのないまま、コミュニティの外の新たな読者に届けるにはどうすればいいのか。

webの作品を紹介するフリーペーパーを作り、書店やカフェなどの作者コミュニティのない場所に置かせてもらうのが一番いいのではないかという結論に達しました。
フリーペーパーは以前伽さんに作って頂きました。(実は私の誕生日プレゼントとして)
伽さんと制作したバージョンは文字情報よりは印象に訴える視覚重視のデザインです。
次に自分が作るものは文字情報を増やし、小説の冒頭にそのまま入りこめるような、未読の方を引きずり込むものを考えています。そんで学内や即売会のみならず外部の書店等に置かせてもらいます。

いずれはネットの面白い小説を紹介するフリーペーパーが出来ることを希望しますが、作者である自分が主催で編集すると内容に相当偏りが生まれるでしょうから、より中立な立場の方にお任せしたいです。案は公開したのでどなたか宜しくお願いします。
(cf.『文学フリマ非公式ガイドブック』という活動があります)

自分の作品の見せどころは無く、どうやら包括した全般の雰囲気が長所なのだと思います。
自己紹介にとても悩む作品です。
これをどうすっかなあというのが最近の考え事。


スイマーズの方は原稿を書き始めました。
30~40枚を予定し、現在20枚を超えたのでまあ大丈夫な気がします。
文芸部はまだです。
個人制作物(「これは物語ではない」スピンオフ本)もまだ着手していません。
こちらのタイトルは『■■■』。She Sells~以上にアレな装丁になるのでお楽しみに。

IllustratorやInDesignを入手できそうなので、その操作になれたら『シ』を大幅に改定して頒布予定。『■■■』を落としたらこっちを文フリに出します。そんなことにはならないと思いますが。



以下6月14日のツイッターログコピペ

山川@mtn_river

zine展に出展している、風野さんとお話してきました。どうやって内輪に留まらず継続して発表していくのか? すぐには叶わないでしょうが何とかしていくしかないな……と。文フリやzine展の使い方を考えたり。一般受けしない作品をいかに宣伝していくのかとか。
posted at 22:09:04

自分じゃ思い当たらないお話も色々聞かせて貰えてとても勉強になりました。同人界隈に埋もれず、市場に潰されずに書き続けるには。フリーペーパーのような媒体をもっと利用していくべきだろう。
posted at 22:12:20

編集を志望する人と小説を志望する人がなんとか繋がれないかなと。ネット以外にも発信していく方法を。
posted at 22:13:46

→そういうところで、@CRUNCHERS_JP や @takamurakoyomi さんらの同行を注意深く見ていきたいし、いずれは参入したい。
posted at 22:19:01

風野さんは文学部在籍で、私は美大の油画専攻なのだが、まずどちらも本当に文学を制作していこうとする人はとても少ない(美大は当然だろうが、実は文学部も) 仲間を見つけることがまずとても難しい。学内でなんらかの方法で、作家や発信者を呼びかけたいとは思う。何か突破口がないものか。
posted at 22:38:17

傲慢に聞こえるかも知れないが、山川夜高が一般受けしたら、作家としてはクソだと思うのね。……説明しがたい作品であることは存分に自覚しているので、それでもなおどうやって、この作家の異常さや魅力を宣伝していくか。
posted at 22:44:12

自分が新人賞から文壇デビューして商業作家になるのか、別の仕事をしながら自腹を割いてアマチュアで発表を続けるのか、それ以外の方法があるのか、まだ分からないけれども、「一般受けしない」まま誠実に発表を続ける意志はある。あとは分からない。
posted at 23:13:34

草案: 次の11/4文フリの夜に、そういう書き手、読み手、売り手の会が開けないだろうか?
posted at 23:27:08

自らの作風の話: 風野さんに「(あれだけ奇妙な人々なのに) 悲壮感がない (のが好い)」と評されて、なるほどそういうことかと思ったし、嬉しかったし、これからもそれを標にしたいと思う。(カッコは山川による補足)
posted at 23:55:21

「とにかく陰鬱に足を取られることは避けている」と、以前、作品批評会で語ったのだけど、なるほど「悲壮感がない」と言うのか……と、語彙への感動も大きい。/ 邦楽への憧憬や意志も言葉に出来てよかった。
posted at 23:58:45


20130421 これは音楽ファンではない



衝動買い。

完全に「衝動」ではなかった。ツタヤにあったら借りようと思ってた。
でも店舗で見つけたから買っちゃった。
買い物なんて想定していなかったから、これで財布のお札がすっからかんになった。
丁度間に合う金額を持っていてよかった。

フルアルバムなら買ってもいいかなって。
(そう言って、PeopleもフルのFrog Queenを買った。Rabbit Hole, Bird Hotel, Ghost Appleはツタヤで済ませた。Family Record以降はミニアルバムも買っている。Citizen Soulだけですけどね。アルバム集めてからシングルに手を伸ばしたので、シングル3枚は全部持っている。)

このハイスイノナサのアルバムは火曜日の「zine展」搬出のときに、スイマーズの佐藤さんと新宿タワレコに行って、思い出したように衝動買い。
佐藤さんもART-SCHOOLの新譜を買ってたからどっこいどっこい。
今日は渋谷にあるフリーペーパー専門店「ONLY FREE PAPER」を視察しに行ったはずが、
残響ショップにまで足を伸ばし、ずっと試聴していた。

帰って、そろそろ『動物の身体』を聴かなきゃと思いウォークマンに取り込む。
CDプレイヤーが無いんですよ。PCとウォークマンしかない。

そこで、思い出したように整理整頓を思い出す。
CDジャケットイメージを設定していないファイルがけっこうあった。
高2の時ぐらいに入れたスピッツとスーパーカーがノータッチゾーン。かなり多い。前のmp3プレイヤーを使っていた時だ。

スピッツって赤・黄色のジャケットが目立つと思った。特に初期(がいつまでかはさておき)
あと女の子多いな。それか少年。人物がいる。

CDって物体がやっぱり好きなので (それは本を好きになるのと同じように。図書館とツタヤの違いだけ。高い本は図書館だよ)
アートワークも大事にしたいなと、
「『空の飛び方』ってこんなジャケットだったっけ!?」と。
ジャケット眺めながら聴けるように。

それを機にデータの保管場所の整頓とか、色々行い、1時間半経過。
もうハイスイノナサ聴く時間ない。

何より制作時間がサヨナラ。

意地でも間に合わせるだろうが、心身に余裕は欲しいものです。



さてまあ宣伝をして〆としましょう。

5/5(日) COMITIA104 つ37b「鳥会
鳥グッズの販売を行います。

同時販売:これは物語ではない スピンオフ
『She Sells Sea Shells by the Seashore』
特典付きのご予約はこちらから(30日迄)


宜しくお願いします。


その前にFoZZtoneのライブがあり、ティアが終わったら波多野単独公演やPeopleツアーがある。素敵な御身分です。


20130401 ライフワーク3周目


「ライフワーク」の上手い日本語訳を考えたい。

作品が生活に直結すること/生活が作品に直結すること の是非は人それぞれで、
全く切り離して考える人、改まった気持ちで答える人、一切の境界を引いていない人、それぞれは良し悪しでは区別されない。

自分はと言えば、リアリティに固執する為に実生活から丸パクしたりもするが、
登場人物=自分 ではない。誰のことも他人だと思って書いている。
共感できるところも出来ないところもある。
むしろ共感出来ない方が強いのでは。

身体感の有無は、実生活の直結には関係ないと思う。

ただ、他人を書いているとはいえ、いい加減なことは書きたくないから物体の実在感は欠かさない。

物体としての人間の体積とか、脈拍とか、まばたきとか、続かない会話とか。


小説で沈黙を書くのは相当難しい。
私がいい沈黙を描いた小説を知らないだけかもしれない。いい例を知らない。
会話が途切れる間や居心地をうまいこと活字に変換できないかと考えているけれども。

楽しかった会話を思い出そうとしても全然思い返せなくてただ楽しかったっていう感想だけが残っていて、思い出せないけど楽しくなる みたいな。

語れる訳ないんですよ。

日を追うごとに小説にも絵にも、自分の作品にも他人の作品にも、製品にも、生物にも疑いが増してきて、
でもあんまり疑いをあらわにすると黄色い救急車に運ばれて鉄格子の付いた病院に閉じ込められてしまうそうですよ。
離人症とかいうらしいですよ。

1年間精神病理についての講義を受講してみたのですが、まだよくわかんない。

「『異邦人』のムルソーは離人症では?」という知恵袋の記事を見てから特に離人症について考えることが多い。
でもねえ病気とか関係ないですよ、異常なのは法廷の連中だと思いますよ。

病気なんてカテゴライズに過ぎませんからね。
元気だったのに定期健診に行ったら突然レッテル貼られるんですよ。
「早期発見」
病院に行くから病気になるんです。


健康になることを考える・患者やまわりの人の苦悩を考える・病理のメカニズムを考えるのはほかの誰かがきっと考えてくれるので私はフォローしません。

制作というのは個人プレーを通り越して孤独の局地であり、なおかつ、全人類の連携プレーなのだろう。
誰も言及しなかったところを言及していく。の、繰り返しで、歴史というか時間というか文脈というか秘伝のタレが継ぎ足し継ぎ足し紡がれてきたのではないか。
だから今まで描かれなかったものを書こう。
そうすれば誰かが続きを書いてくれる。
続いていく。



2013年4月1日で「これは物語ではない」というライフワークが3年目に突入します。


大学入学とともに書き始めたような作品で、色々な理由が考えられますが「ライフワーク」と呼んでふさわしい作品で、
はーなんかもう30分ぐらいかけてずらずら下書きもなく打ってると言う事ねえな。

PCや携帯から文字を書く時、どうしても「打つ」という感覚が強い。
「書いて」いない。
ほら話がズレる。でもこのズレに些細過ぎる真実が輝いていると信じている。


ポタージュといいポタージュといい、とにかくいい加減に、けれども「真実」であるように、というのがとにかくの指針で、
あんまり深刻憂鬱にならないように(それはきっと、もっと適任の作者がいるだろうからね)
適度なクールとジョークを忘れないように、
笑い:もどかしさ悲しさ怒り:無我の境地=1:1:8ぐらいで。
ギャハハハハやクスクスクスでないけど、「たのしい」ものであるように。


そうですねー
真摯に、しかし深刻にはならないように、クールさと遊び心を忘れないように。
なにより自分が求めるものを書かないと、誰かに求められる程のものは作れない。
私は他人のニーズに合わせて制作するデザイナーには恐らく成れないから。
こころやさしい孤独をたのしみます。


どうぞ4649お願いします。


20130331 書くということ




iPhone5を買いました。
調子のって32GB買いました。
画像編集アプリが本当に揃ってますね。
とりあえずブラウザで動く画像編集ソフト「pixlr」のiPhoneアプリ版、などをDLしました。

PC/スマートフォン/タブレットで見られればいいという高次な配慮か、
800*600px pngファイル なんかが主流で、
いまだ240*320のサクサク感を重んじる自分にとっては車通りの多い下り坂をチャリで突っ走っている気分です。

坂をチャリで〜 は今考えた比喩です。

そうです。AT普通車の免許を取るため教習所に通っています。
1月末から入学しているのに圧倒的混雑状況によりまだ仮免止まりです。
予約のいらない学科教習は全て取り終えてしまいました。

18さいになったばかりのちゅうがくせいが群をなして教習所にわいわい来てると思うと反吐が出ますね。

失礼。
地元の地形は好きなのですが、地元の人間はあまり好きではないので。

この18さいのちゅうがくせいどもをなんにん間引けば早く免許取れるかなあ等と私らしくもないことを時々考えます。

失礼。


教習所が出て来る小説は、最近読んだ

『カメラ』J.P.トゥーサン

がかなり面白かったです。
『ためらい』も良かった。
『カメラ』では主人公が教習所に通っています(が、たぶん免許を取り終わらないうちに小説は終わっています。本筋が失せていく感じ、最高)


どこに行ったかとか、何作ってたかとか、その辺はtumblrの方が明るいです。
あとツイッターが最速報ですね。

絵や映像の展覧会を見に行ったり散歩したり観劇したり友人と会ったりアートイベントのボランティアスタッフやったり海に行ったりしていました。



事情あって東京湾(台場)に多く出向いていました。
浜辺でなくても、護岸も面白いものだと思いました。
漁港とか工業地帯とか、水深が少し深い方が海中生物も見つけやすいです。

鳥しかり、最近はクラゲしかり、
飼育や動物園/水族館よりも最たるは野生との出会いだと思います。

出会いっていうとドラマチック過ぎて違和感。
発見 遭遇 見かける。
「見かける」でお願いします。

ランダムさがいいんです。
ランダムであっても明確に季節に基づいているところが好いんです。
ガラスで隔てられていないし、ぎゅうぎゅうづめにされてないところもいいかもしれない。

水族館のクラゲはもはやインテリア扱いなのではないかと、今思いました。
飼育員や研究者がそう思ってるのではなく、お客が。

岸辺で実際に見かけてみるといいです。

“なんかビニール袋っぽいまるっこいものが浮いている”
“良く見ると思ったよりたくさん浮いている”
“あれでいて毒がある”
“あれは野生動物である”
“傘の中に気泡が入って沈めない”
“足もちぎれていますね”
“一瞬目を離したら波に飲み込まれてどっか行った”

こんな「野生動物」が実在していいのか。

「野生動物」ですよあいつらは。
あのぷかぷかしてるぷにぷには。
半透明な曲線デザインのモダンインテリアではないんですよ。


ミズクラゲもアカクラゲも一匹(と数えていいのか?)見かければ周囲に思ったよりたくさんいます。

ミズクラゲは少し水色みがかって見えました。太陽光のせいなのか?
アカクラゲ、最近、美しいなとよく思います。きれいな赤色のライン(保護色にはならないし警戒色にしても微妙な気がする)と長い触手(よくちぎれる)。
数日前台場を訪れたときは、(たぶん)カミクラゲがいました。
ミズクラゲも無色透明ですが、同じ無色透明でも感じが全然違いました。
あれは好いですね。ミズやアカと違って躍動感もレア感もあって、良い経験をしました。

写真は一枚も撮っていません。
十中八九上手く撮れないし、撮っても仕方がないからです。
食い物の写真をわざわざトイカメラ風アプリで加工してツイッターかfacebookかに掲載するのに似ている。
その洋菓子はインテリアですか?

instagramに代表される、うつくしい写真加工の蔓延に思う所は多々ありますが、
書きしるすのは今度にします。

“嘘を嘘だと見抜けないかぎりインターネットを使うのは難しい”



さて5月5日のコミティア104に、3つの美大のインカレサークル「鳥会」で出展します。
ブースの場所は「つ37b」 特に語呂合わせはありませんが、会場入り口側を向いたお誕生日席です。
同時に「これは物語ではない」の新刊『She Sells Sea Shells by the Seashore』を展示/販売します。
新刊には予約特典がございます。予約につきましては、追ってお伝えします。
どうぞ宜しくお願いします。




一番最初に掲載した写真は2012年の代々木公園です。


20130217 マイベスト国内外小説


ツイッターで「マイベスト短編国内」「マイベスト短編海外」を挙げる機会があったのですが、短編に限ることができなかったため、ここで好きな小説を書きとめようと思います。
全て挙げようとするときりがないので、取りこぼしの猶予を自分に与えながら。


* 国内

・『笑う月』安部公房
ここに収録されている『空飛ぶ男』を「マイベスト短編国内」に挙げました。
『公然の秘密』と迷いました。
安部公房の未発表短編集ほちい

・『Self-Reference ENGINE』円城塔
連作短編集(?)なので抜粋不可でした。

・『虐殺器官』『ハーモニー』伊藤計劃
長編なので挙げられませんでした。
SFアレルギーでなければこの2冊は本当にお勧めです。

・『銀河鉄道の夜』など 宮沢賢治
一つには絞れませんでした。
2月27日NHKBSプレミアムで「80年後のkenji 宮澤賢治童話集」という番組をやるそうです。楽しみ。

・『山月記』中島敦
末永く高校の現国教科書にあれ。


* 海外

・『異邦人』カミュ
外せない! 個人的に思い入れも深い作品です。

・『変身』カフカ
外せない()

・『カフカ短編集』(岩波文庫)
長編のgdgd感とは打って変わって、とても読みやすいです。
(長編『城』は読み切れないでいます)

・『ペドロ・パラモ』ファン・ルルフォ
岩波文庫にて絶賛絶版中。なぜ絶版なのだ。
友人の勤めている書店が偶然「岩波文庫絶版フェア」をひらいていたので偶然購入出来ました。
断片が積み重なっていくつものストーリーを繰り広げている、そんな描き方です。

・『ためらい』ジャン=フィリップ・トゥーサン
短編と呼べなさそうな長さでしたが「マイベスト短編海外」に挙げました。
これも断片的にぽつぽつと語られていく体です。
ミステリーファンにぜひ読んでもらいたい一冊です。


断片で語られる小説が好きなのかもしれません。
『ためらい』といい『ペドロ・パラモ』といい、安部公房『箱男』といい。
今日読み終えた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック も、リック・デッカードとジョン・R・イジドアの二人視点でした。


読書量と買ってくる/借りてくる本の量が釣り合っていないので、読書に励みつつ節制したいのですが、
今日も一冊買ってしまったのでもう駄目かもしれない。


今日の買い物:
『過程』ハリー・ムリシュ
@ バサラブックス / 吉祥寺

今日は百年にも立ち寄りました。
チェーンでない(古)本屋さんをたくさん訪れたいです。
都下では町田駅周辺の外れにある「高原書店」さんを強く勧める。


JUGEMテーマ:読書


20130204 文脈とつながり


“@mtn_river
美術に限らず芸術、世界には積み重ねてきた歴史・文脈がある。現代美術はその文脈に沿った作品を作ることが大前提で、そうでなければ評価されない。でも自分がその文脈の続きを書けるというのはとても楽しいことだと思う。(後略)
2013年2月1日 - 9:47”

 美術史のなかではもうアートは出尽くされていて、全くオリジナルの発想などもう見付からない。だから今まで先人がやってきたことを、乗り越え、翻案し、続きを書いていくのが「現代美術」(らしい)。これは「美術の文脈」とよく言われる。
(よく言われるのだが、発祥がどこか・誰かの専売特許の用語なのか、よく分かっていない、ごめんなさい。もっと詳しく分かりやすい記事を見つけました→現代美術と文脈 ほかにも「美術の文脈」でぐぐってみて下さい)

 自分の言葉など存在しなくて、全ては二次創作物で、オリジナルなんてどこにも無い。今喋っている言葉も、何かで読んだりした借り物の寄せ集めで、独自の思考なんて存在しない。あるのは独自の知識ではなく、集めた知識の総体の並べ方の違いだけだ。

 精神が純粋に独立しているなんて違う。他者が私を作っている。その感覚にすごく近いものを語っているし、今まさに私を作るひとつとなっているだろうものが、ル・クレジオの『物質的恍惚』。(2013年2月3日現在読み途中)
 身体と精神、自己と他人、自分と世界、現実と幻想。とかいう二元論を溶かしていく。
 そして芸術は社会の=大勢の他人の=共同体の要請で作られる。芸術は世界の文脈の延長にある。
 とか、丁度自分が言いたいことにとても近いところを『物質的恍惚』はかすめていった。(ただ、私がそういった考えを強く考えているから、似ている考えが全てソレに見えるという補正はかかっているだろう。)

 これを手に取った経緯はとても単純。私はル・クレジオという人も著書も知らなかった。

 11月に滅茶苦茶しつこくブログに書いていたPeople In The Boxというバンドのアルバム『Ave Materia』に『物質的胎児』という曲があるから。(歌詞)
 このバンドの作詞&ボーカル&ギターの人は綿密な意図・元ネタ・パロディを敷くのが好きっぽいから、何かあるかも知れないと思って借りた。(ブラフ・ミスリードを敷くのもお好きと思われるが)

 同アルバム収録曲に『ダンス、ダンス、ダンス』というのがある。どう考えても村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を彷彿とさせる。『ダンス・ダンス・ダンス』も、『ダンス、ダンス、ダンス』を聴いたから読んだ。(もうちょっと詳しく言えば、Peopleのライブ(12/13渋谷QUATRO)に行く時に買って読んだ)

 他の人の言葉が形を変えながられんめんと繋がっていくのを考える。

 歌詞のワンフレーズ、小説のタイトル、なんていうのは特別な言葉のように思う。物語のある言い回しだけが頭の中に引っ掛かることがある。時々思い出す。
 文字の一節だけでなく、思想や感情も引き継がれていく。「影響を受けていく」。
 さまざまな点がシナプスのように繋がっていく。れんめんと引き継がれてきた世界の文脈が繋がった感じがする。

 個人の持つ知識の差は、知識の個別のオリジナリティではなく、集めた知識を並べる方法の差である。同じ本を読んだふたりの人間がいたとしても、それまで読んだもの・聞いたもの・見たもの・出会ったものが違うから、同じ知識にはならない。
 知識の総体はその組み合わせ方による。だから、この世に自分とまったく同じ知識を持っている人間はいない。
 「自分の文脈」と言ってもいいかもしれない。
 それが公に発表された作品に現れたら、作品は、世界の文脈のつづきのひとつに含まれるということだ。


 自分の作品(特に小説)を振り返れば、文脈の意図や引用元はかなり明瞭だと思う。何に影響を受けたか、PC版「これは物語ではない」のサイトにはなるべくクレジットを載せるようにしている。勿論網羅は出来ないから、なるべくの範疇で。

 自分が先人の文脈を引き継げることが、今すごくうれしい。
 文脈に沿って書くなんて不自由だ・アートは自由であるべきだ、と思われるだろうが、ひとりよがりな作品は今も昔も基本的には受け入れられない。
 (「アウトサイダー・アート」という、文脈に関係ない芸術活動もあるけれど、アウトサイダー・アートの条件が「芸術の専門教育を受けていない人による芸術活動」なので、自分はすでに追放されているんですよ)

 読書やら何やらの生活のなかで先人の言葉をつなぐ営みはとてもたのしい。幸福だ。知識欲ってこういうことなのではないか。
 そして、自分の作品も、読者のシナプスに繋ぎとめられたら、これ以上の幸せはない。先人らに加わること、誰かの知識のなかに繋いでもらえたら、それが作品として一番の幸福だと思う。



( ) =文脈からちょっと外れること の多さよ。


<< | 2/4PAGES | >>

liblog

libsy.web.fc2.com
Written by.
Yodaka YAMAKAWA

websitetumblrtwilog
<< October 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
01020304050607
08091011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

categories

qrcode

PR


Powered by JUGEM