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20130225 読書 影響 資料 辞書


“1RTで普段どんな本を読んでいるか2RTで影響を受けたであろう好きな作家は誰か3RTでオススメの資料本またはサイト4RTで使ってる辞書や単語の引き方教える”


20130225 act.4 知らない人々『預言者』


これは物語ではない
act.4 知らない人々
『預言者』 for PC / for MOBILE



君にはどうか、彼の友達になってあげてほしいんだ。


  * * *


一体どこへ向かうのだろうって自分自身が一番疑問に思っています。
密室で多人数が迷子になっているようなありさまですが、自分が書きたいものを書いていきます。

サイトのデザインに迷走しています。また変更するつもりです。


20130220 ツイログ:小説についての質問


“1RTで文字書き歴2RTで使ってるソフト3RTで書くときのこだわり4RTで一番書くのが好きなシーン5RTで即興SS6RTでネタの降臨のパターン7RTでストックしてあるネタ8RTでプロット9RTで完成形10RTでボツ作品晒す”

っていうタグの7番まで転載。

ちなみにプロットは覚書程度に書きます。
手帳みたいに使っている無印のノートに手書きです。


20130218 act.4 知らない人々『雑談相手』


これは物語ではない
act.4 知らない人々
『雑談相手』 for PC / for MOBILE



僕らは互いに経過観察をしていたのかも知れない。


  * * *

妙にコンスタントに続けています。
ブルーマンデー連載です。




†未だ書かれざる神話† (次回予告)

宵闇の旅路――運命に導かれし二人の騎士は、何を想い、何を目指すのか。
選ばれし者は剣を捨てペンを手に、魔王を探す当て所ない旅に出る。
少年よ、忘れるな。私は常にそなたと共に在る――

――次回『此れは物語ではない -This is Dis Story-』衝撃の第伍話

 “預言者” YOGENSHA

Coming soon ...

(およそ正解です)


20130217 マイベスト国内外小説


ツイッターで「マイベスト短編国内」「マイベスト短編海外」を挙げる機会があったのですが、短編に限ることができなかったため、ここで好きな小説を書きとめようと思います。
全て挙げようとするときりがないので、取りこぼしの猶予を自分に与えながら。


* 国内

・『笑う月』安部公房
ここに収録されている『空飛ぶ男』を「マイベスト短編国内」に挙げました。
『公然の秘密』と迷いました。
安部公房の未発表短編集ほちい

・『Self-Reference ENGINE』円城塔
連作短編集(?)なので抜粋不可でした。

・『虐殺器官』『ハーモニー』伊藤計劃
長編なので挙げられませんでした。
SFアレルギーでなければこの2冊は本当にお勧めです。

・『銀河鉄道の夜』など 宮沢賢治
一つには絞れませんでした。
2月27日NHKBSプレミアムで「80年後のkenji 宮澤賢治童話集」という番組をやるそうです。楽しみ。

・『山月記』中島敦
末永く高校の現国教科書にあれ。


* 海外

・『異邦人』カミュ
外せない! 個人的に思い入れも深い作品です。

・『変身』カフカ
外せない()

・『カフカ短編集』(岩波文庫)
長編のgdgd感とは打って変わって、とても読みやすいです。
(長編『城』は読み切れないでいます)

・『ペドロ・パラモ』ファン・ルルフォ
岩波文庫にて絶賛絶版中。なぜ絶版なのだ。
友人の勤めている書店が偶然「岩波文庫絶版フェア」をひらいていたので偶然購入出来ました。
断片が積み重なっていくつものストーリーを繰り広げている、そんな描き方です。

・『ためらい』ジャン=フィリップ・トゥーサン
短編と呼べなさそうな長さでしたが「マイベスト短編海外」に挙げました。
これも断片的にぽつぽつと語られていく体です。
ミステリーファンにぜひ読んでもらいたい一冊です。


断片で語られる小説が好きなのかもしれません。
『ためらい』といい『ペドロ・パラモ』といい、安部公房『箱男』といい。
今日読み終えた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック も、リック・デッカードとジョン・R・イジドアの二人視点でした。


読書量と買ってくる/借りてくる本の量が釣り合っていないので、読書に励みつつ節制したいのですが、
今日も一冊買ってしまったのでもう駄目かもしれない。


今日の買い物:
『過程』ハリー・ムリシュ
@ バサラブックス / 吉祥寺

今日は百年にも立ち寄りました。
チェーンでない(古)本屋さんをたくさん訪れたいです。
都下では町田駅周辺の外れにある「高原書店」さんを強く勧める。


JUGEMテーマ:読書


20130211 act.4 知らない人々『眠れる街の』


これは物語ではない
act.4 知らない人々
『眠れる街の』 for PC / for MOBILE



眠れない人々。
顔も名前も声も知らないふたり。


  * * *


□ 活動報告

ハード面の不満が募ります。
webサイトのブラウザによる見え方の違いや、どのようにすれば読みやすく美しい段組みになるのか、など。
デジタルで発表する小説も、実物で発表する絵画や立体作品についても、自分はディスプレイが下手です。
作品は作れますが作品の活かし方が上手くありません。
編集者やデザイナーという職の重さをかみしめています。

∴PCサイト近日改装予定

デザインはミニマルにシンプルにしたいです。
作品は濃厚なあっさりさ……みたいな。簡単に言えませんし簡単に言う気もありませんが。


□ 今後のact.4

第四話「病院に行きたくない(仮)」
近日公開!


20130209 タイトルの由来と裏話


タイトルの由来

1/23にツイッターにupしたもの。
全て「これは物語ではない」の小題です。act.3まで。

ポタージュ様は完全な思いつき。


20130205 act.4 知らない人々『変人』


これは物語ではない
act.4 知らない人々
『変人』 for PC / for MOBILE



変人あるいは変身。
何をもって、人は変わるのか。


20130204 文脈とつながり


“@mtn_river
美術に限らず芸術、世界には積み重ねてきた歴史・文脈がある。現代美術はその文脈に沿った作品を作ることが大前提で、そうでなければ評価されない。でも自分がその文脈の続きを書けるというのはとても楽しいことだと思う。(後略)
2013年2月1日 - 9:47”

 美術史のなかではもうアートは出尽くされていて、全くオリジナルの発想などもう見付からない。だから今まで先人がやってきたことを、乗り越え、翻案し、続きを書いていくのが「現代美術」(らしい)。これは「美術の文脈」とよく言われる。
(よく言われるのだが、発祥がどこか・誰かの専売特許の用語なのか、よく分かっていない、ごめんなさい。もっと詳しく分かりやすい記事を見つけました→現代美術と文脈 ほかにも「美術の文脈」でぐぐってみて下さい)

 自分の言葉など存在しなくて、全ては二次創作物で、オリジナルなんてどこにも無い。今喋っている言葉も、何かで読んだりした借り物の寄せ集めで、独自の思考なんて存在しない。あるのは独自の知識ではなく、集めた知識の総体の並べ方の違いだけだ。

 精神が純粋に独立しているなんて違う。他者が私を作っている。その感覚にすごく近いものを語っているし、今まさに私を作るひとつとなっているだろうものが、ル・クレジオの『物質的恍惚』。(2013年2月3日現在読み途中)
 身体と精神、自己と他人、自分と世界、現実と幻想。とかいう二元論を溶かしていく。
 そして芸術は社会の=大勢の他人の=共同体の要請で作られる。芸術は世界の文脈の延長にある。
 とか、丁度自分が言いたいことにとても近いところを『物質的恍惚』はかすめていった。(ただ、私がそういった考えを強く考えているから、似ている考えが全てソレに見えるという補正はかかっているだろう。)

 これを手に取った経緯はとても単純。私はル・クレジオという人も著書も知らなかった。

 11月に滅茶苦茶しつこくブログに書いていたPeople In The Boxというバンドのアルバム『Ave Materia』に『物質的胎児』という曲があるから。(歌詞)
 このバンドの作詞&ボーカル&ギターの人は綿密な意図・元ネタ・パロディを敷くのが好きっぽいから、何かあるかも知れないと思って借りた。(ブラフ・ミスリードを敷くのもお好きと思われるが)

 同アルバム収録曲に『ダンス、ダンス、ダンス』というのがある。どう考えても村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を彷彿とさせる。『ダンス・ダンス・ダンス』も、『ダンス、ダンス、ダンス』を聴いたから読んだ。(もうちょっと詳しく言えば、Peopleのライブ(12/13渋谷QUATRO)に行く時に買って読んだ)

 他の人の言葉が形を変えながられんめんと繋がっていくのを考える。

 歌詞のワンフレーズ、小説のタイトル、なんていうのは特別な言葉のように思う。物語のある言い回しだけが頭の中に引っ掛かることがある。時々思い出す。
 文字の一節だけでなく、思想や感情も引き継がれていく。「影響を受けていく」。
 さまざまな点がシナプスのように繋がっていく。れんめんと引き継がれてきた世界の文脈が繋がった感じがする。

 個人の持つ知識の差は、知識の個別のオリジナリティではなく、集めた知識を並べる方法の差である。同じ本を読んだふたりの人間がいたとしても、それまで読んだもの・聞いたもの・見たもの・出会ったものが違うから、同じ知識にはならない。
 知識の総体はその組み合わせ方による。だから、この世に自分とまったく同じ知識を持っている人間はいない。
 「自分の文脈」と言ってもいいかもしれない。
 それが公に発表された作品に現れたら、作品は、世界の文脈のつづきのひとつに含まれるということだ。


 自分の作品(特に小説)を振り返れば、文脈の意図や引用元はかなり明瞭だと思う。何に影響を受けたか、PC版「これは物語ではない」のサイトにはなるべくクレジットを載せるようにしている。勿論網羅は出来ないから、なるべくの範疇で。

 自分が先人の文脈を引き継げることが、今すごくうれしい。
 文脈に沿って書くなんて不自由だ・アートは自由であるべきだ、と思われるだろうが、ひとりよがりな作品は今も昔も基本的には受け入れられない。
 (「アウトサイダー・アート」という、文脈に関係ない芸術活動もあるけれど、アウトサイダー・アートの条件が「芸術の専門教育を受けていない人による芸術活動」なので、自分はすでに追放されているんですよ)

 読書やら何やらの生活のなかで先人の言葉をつなぐ営みはとてもたのしい。幸福だ。知識欲ってこういうことなのではないか。
 そして、自分の作品も、読者のシナプスに繋ぎとめられたら、これ以上の幸せはない。先人らに加わること、誰かの知識のなかに繋いでもらえたら、それが作品として一番の幸福だと思う。



( ) =文脈からちょっと外れること の多さよ。


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Written by.
Yodaka YAMAKAWA

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