二次創作というか、キャラクターが好きであるかについて。
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作品を好きになるとき、キャラクターを好きにはならない。この作品が好きで、それはもう完成された作品だから、わざわざ自分が手を加えることではない。
動機が「好き」でない場合こそ、私は二次創作できるだろう。
シミュレーショニズム的な。自分で書かなきゃいけない程「好き」になることは滅多にない。
(とか言って、これまつと虚構(=コラボ作品)はどうなるのだろう。)
「セレスタ」の外見をしたキャラクターは既にこの世に絶対存在しているだろう。帆来もまあフィクションの中ではありふれた外見だろう。「ザムザ」もわざわざ既存の(有名な)人名を当てている。
ありふれていることを自覚しています。意図した皮肉です。
だから「セレスタ」はどこかの知らない漫画だかエロゲだかの二次創作である。と断言してもいい。碧眼ツインテセーラー服の、サブカル内でありふれた女子。
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というツイッターからのコピペ。
色んなことを書いています。
twilogを見ていただければと思います。
ありふれた外見、ありふれた出会い、ありふれた「同居モノ」から、別の線へズレていくように。